大判例

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甲府地方裁判所 平成7年(行ウ)3号 判決

原告

中山淳子

石丸あきじ

浅川栄子

植松やえ

中原節子

秋山恒子

菊地順子

堀内美恵子

小林志げ美

新津もとよ

梅津まさじ

原告ら訴訟代理人弁護士

寺島勝洋

関本立美

加藤啓二

被告

天野建

右訴訟代理人弁護士

細田浩

主文

一  被告は、山梨県に対し、金三三万円及びこれに対する平成七年三月一五日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告らのその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、これを四分し、その一を原告らの負担とし、その余を被告の負担とする。

事実及び理由

第一  請求

一  被告は、山梨県に対し、四三万円及びこれに対する平成七年三月一五日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

本件は、山梨県(以下「県」という。)の住民である原告らが、地方自治法二四二条の二第一項四号に基き県に代位して、県知事(以下「知事」という。)である被告に対し、被告が違法な公金の支出をしたとして、県に対する損害賠償を求めた事案である。

一  争いのない事実

1  被告夫妻、県議会議員(以下「議員」という。)一一名及び県議会事務局長ほか八名の随行職員は、平成六年五月一六日から同月二〇日までの間、公費でタイ王国及びシンガポール共和国の視察旅行(以下「本件視察」という。)をした。

2  被告は、本件視察に際し、知事交際費から三三万円を支出し、右一一名の議員に対しせん別(以下「本件せん別金」という。)として各三万円を交付し、各議員はこれを受領した。

3  平成六年六月四日、本件視察に参加した片田義光議員(以下「片田議員」という。)は、報道関係者に対し、本件視察中、同行の秋山育彦秘書課長(以下「秋山課長」という。)を介して知事から土産代一〇万円の提供の申出があったが、自分は受け取らなかった旨発表した。

4  本件視察に参加した本田圭司議員(以下「本田議員」という。)は、右発表に同席した際、自分には右申出はなかった旨述べたが、同月六日に、前言を翻し、土産代として一〇万円を受領した旨発表した。

二  争点及びこれについての当事者の主張

1  争点

本件の争点は、①本件せん別金の支出が違法であるか及び②被告が、本田議員に対し、公金から支出した一〇万円を土産代名下に交付したかである。

2  争点①について

(一) 原告らの主張

本件せん別金の支出は、以下のとおり、社交儀礼上相当な範囲を超え、社会通念上著しく妥当性を欠く違法なものである。

(1) 地方自治法上、議会と長は相互に独立かつ対等の関係にあり、議会と長との相互抑制を通じて均衡を保ちながら地方公共団体の運営が行なわれることが求められていることから、議会には、条例制定権、同意権、調査権、不信任議決権等、執行機関に対して民主的牽制を加える手段が与えられており、議会の構成員たる議員についても、執行機関に対するチェック機能を果たすことがその重要な責務となっている。このような関係にある議員に対し、執行機関を所轄する長である知事がせん別名下に現金を供与することは、議員の執行機関に対する民主的牽制の鈍麻を招来させ、ひいては地方自治の本旨に悖ることとなる。したがって、このような危険性を持つ本件せん別金の支出は、馴合い以外の何物でもなく、違法であることが明白である。

(2) 本件視察は、公務として実施され、交通費、宿泊費などは全額公費で賄われた。この内には、参加した議員に対する一日当たり五一〇〇円の日当も含まれている。また、本件視察は観光旅行の域を出ないものであり、そこでは知事の職務執行と議員にせん別を贈ることとの間には何らの関連性もないし、それらを必要とする事情も全くない。このような事情のもとでは、金額の多寡を問わず、さらに公費からせん別を支出する必要性はない。

(3) せん別は、「遠くへ旅立つ人などに別れのしるしとして贈られるもの」であるところ、本件視察には被告も同行しているのであるから、伴に旅行する間柄の議員へせん別を贈るのは、社会通念に著しく反する。

(4) かつて海外旅行は、長期間にわたり、要する経費も膨大で、かつ危険を伴うなど諸々の負担があったことから、これにせん別を贈ることの必要性、合理性、相当性があり、県において関係者の海外視察にせん別名下による支出がされていたことも理解できる。しかし、現在においては、交通機関の発達、我が国の経済力の強化等により事情が変化しており、本件視察先であるタイ王国及びシンガポール共和国についても、移動は航空機で数時間を要するのみで、両国内に治安上の危険等特段の問題はない。

予算執行にあたる地方公共団体の長は、常に誤った慣行を見直し、地方財政法四条一項の「地方公共団体の経費は、その目的を達成するための必要且つ最小の限度をこえて、これを支出してはならない」との趣旨に則り、是正すべきものは是正すべきであるから、右のような本件視察において、慣行だからとして容易にせん別を贈る必要はないし、違法な慣行がその積み重ねによって合法とされるわけではない。

本件視察後、議員が、今後せん別を受け取らない旨公表していること、四七都道府県において議員の公務海外視察に慣例としてせん別を贈っているのは、山梨県を含めて三県、場合により贈っているのが五県であること、議員の海外視察の際に知事からせん別が贈られてきたという慣行は県民に周知のものではなかったことからも、本件視察に伴うせん別金の支出は社会通念上著しく妥当性を欠く。

(二) 被告の主張

本件視察に参加した各議員に対し知事交際費から各三万円のせん別金を支出したことは、以下のとおりの理由により、違法ではない。

(1) 地方公共団体は、実在する一個の社会活動の主体として、外部の者との間で、社会通念上相当と認められる範囲内の交際を行うことが許容されている。そこで知事は、県の代表者として、広範囲な関係者との間でその友好、信頼、協力等の関係を形成、維持、確保し、県行政の適正かつ円滑な運営を図るため、多岐にわたる交際事務を遂行している。その経費は、県議会で承認された交際費の範囲内で賄われており、その支出の内容、程度等は知事の裁量に委ねられている。

したがって、交際費の支出は、その目的、金額等が社会通念に照らして許容できないようなものであり、知事がその権限を濫用して支出を行ったと認められるような場合でない限り、違法とされることはない。

(2) 知事は、県議会との円滑な関係を維持することが県政推進のため重要なこととの認識のもとに、県議会を代表して公式行事である海外視察に参加する議員に対し、海外視察の成果への期待と旅行中の平穏を祈念するという思いから、従来から儀礼としてせん別金を支出してきた。本件せん別金も、これと同じ趣旨のもとに慣例により、「祈平安」名下に支出された。その金額は、県議会の代表という立場に配慮し、相応の体裁と内容をもって遇する必要があるとの判断から、先例と同額の議員一人当たり三万円とした。

知事と県議会が相互抑制をとおして均衡を保つことと、海外視察について「祈平安」名下に交際費の中からせん別金を支出することとは別次元のことであり、これをもって直ちに知事と県議会との馴合いということはできない。右のようなせん別の交付を禁止する法律の規定があるのであればともかく、知事の交際費の範囲内においてせん別金を支出することは当然許される。

なお、本件視察後、県議会及び知事の双方において、今後せん別金の授受をしないことに決めたのは、海外旅行につき一律にせん別金を支出することが適切か否かという最近の全国的議論を検討したことによるものであって、その支出がもともと違法であるからではない。

(3) 以上によれば、本件せん別金の支出は、社会通念上許容される儀礼の範囲内にあり、とりたてて権限濫用に該当する事情もないから、何ら違法性を有しない。

なお、本件せん別金は右(1)ないし(3)の趣旨から支出されたものであるから、本件視察への被告の同行の有無によってその違法の存否が決定されるものではない。

3  争点②について

(一) 原告らの主張

被告は、本件視察中、本田議員に対し、秋山課長を介して公金から支出した一〇万円を土産代名下に提供し、同議員はこれを受領した。なお、被告の公的秘書が、公務の一環として、知事の名をもって右提供に及んだ以上、それは公金から支出されたと推定されるべきである。

(二) 被告の主張

原告らは、本田議員が公金から支出された一〇万円を土産代として受領した旨主張するが、その公金支出性についての具体的な主張・立証がない。

第三  当裁判所の判断

一  争点①(本件せん別金支出の違法性)について

1  証拠(甲一一の一、一一の五、一一の七、乙一の三、二、証人片田義光及び同秋山育彦の各証言)及び弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。

(一) 本件視察は、知事側及び議会側が合同で企画したものであるところ、その目的は、タイ王国へ進出した山梨県企業の視察、シンガポール共和国における環境及び観光行政についての視察等であり、その行程は、五月一六日及び二〇日は移動日であり、一七日はバンコク市知事等表敬訪問、右企業視察、タイ王国駐在日本国大使表敬訪問等、一八日はバンコク市内視察、シンガポールへの移動等、一九日はワールドトレードセンター視察、シンガポール政府観光局訪問、シンガポール市内視察等である。

(二) 本件視察に要した費用は約一二七五万円であり、その内訳は、外国旅費約九三〇万円、現地レセプション費用八〇万円、訪問先記念品代約一〇〇万円、その他現地通訳・案内人雇入費用、バス借上費用等となっている。

(三) 本件視察に参加した各議員に対する本件せん別金の交付は、県内部において、議員の海外視察に対し知事がせん別金を贈ることが慣例化していたことから、儀礼上されたものであり、その金額は過去数年の実績と同額とされた。

また、過去においても、議員の海外視察に知事が同行するか否かにかかわらず、せん別金は支出されていた。

(四) 本件視察後、県議会側が、海外出張の一般化とこれにせん別金を支出している地方公共団体が最近は少数であるという実情を考慮した結果として、今後はせん別金を受け取らない旨の申合わせをした。

2  普通地方公共団体の長である知事が、その職務を遂行する過程において、社会通念上儀礼の範囲にとどまる程度の接遇のために交際費として公金を支出することは、普通地方公共団体である県も社会的実体を有するものとして活動している以上、右職務に随伴するものとして許容されるものというべきであるが、それが社会通念上儀礼の範囲を逸脱したものである場合には、右職務に当然伴うものといえず、右支出は許されないものというべきである。(平成元年九月五日最高裁第三小法廷判決・裁判集民事一五七号四一九頁)

そして、公金の支出による本件せん別金の交付が、社会通念上儀礼の範囲内と認められるか否かは、その支出の目的及び金額、その他諸般の事情を総合して判断されるべきものであって、地方自治法において相互に牽制し合うことにより適正な地方自治を担う責務を負う知事と県議会との関係も、一つの事情として考慮されるべきである。

(一)  そこで検討するに、前記のとおり、本件視察は、知事と議員団が合同で行ったものであるが、同じ旅程にある者の間でせん別が授受されたという点に違和感を抱かざるをえない。せん別は旅立つ者に対して別れのしるしとして贈られるものであって、本件せん別金のように同行者の間で授受された場合、せん別の本来の意義、目的が希薄になることは否定できず、本件せん別金の交付は通常一般の社交の範囲内のものとみることは困難である。

そして、前記1(一)の本件視察の内容、同(二)の公費負担の内容及び金額等を考慮すると、本件せん別金の交付には、必要性及び相当性の両面において甚だ疑問があり、しかも、前記の知事と県議会の牽制関係についての配慮が見られないといわざるをえない。

(二)  被告が本件せん別金を交付したことについては、前記1(三)の慣例が大きく影響していると推測される。しかしながら、住民に認知されていない慣例は、あくまで県組織内部でのものにとどまり、必ずしも尊重すべきものとは限らないのであって、当該慣例が果たして住民意識において肯定的に受け止められるものかどうか、住民の理解を得られるものといえるかどうかが問題であり、慣例的支出であるとの理由のみによって、本件せん別金の支出が適法とされることはないから、右慣例の存在を重視することはできない。

3 以上の事情を総合考慮すると、本件せん別金に係る公金支出は、その金額自体は過大とまではいえないが、社会通念上儀礼の範囲を逸脱しているというべきであるから、右支出をすることは許されず、したがって、被告の本件せん別金の支出は違法である。

二  争点②(本田議員に対する土産代の公金支出)について

前記第二、一3及び4の各事実のほか、証拠(甲一の一ないし六、一一の二ないし四、一二、一三、乙一の一ないし六、四、証人片田義光及び同秋山育彦の各証言)によれば、本田議員は、秋山課長に一〇万円を返却しようとして断られ、被告を被供託者として一〇万円を供託したこと、片田議員と本田議員は共に日本社会党所属の議員であり、当時同党と知事である被告との間の対立関係がマスコミ等で取り沙汰されていたこと、片田議員が中心となって、県議会において知事である被告の責任を追及したり、本田議員に対する前記土産代の交付が公職選挙法違反罪に該るとして被告を刑事告発したことが認められる。

しかし、右の各事実及び秋山課長から土産代提供の申出があった旨の証人片田義光の証言を総合しても、本田議員に対し公金から土産代一〇万円が支出されたことを認定することはできず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。

三  結論

被告は、前記第三、一の違法な交際費の支出をすることによって県に同額の損害を与えたことは明らかであるから、県に対し不法行為に基く損害賠償責任を負うというべきである。

したがって、本訴請求は、三三万円及びこれに対する右支出後の日を起算日とする民法所定の遅延損害金の県に対する支払を求める限度において理由があり、その余の請求は理由がない。

(裁判長裁判官生田瑞穂 裁判官高木順子 裁判官佐藤和彦)

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